生存表現

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いのちは生き続けるために、いとなみを表現する。
その表現を、生存表現と呼ぶことにした。
生存表現とは、自分に分かりやすく言えば、どんな生き方をするかということである。

いのちがそのいとなみを続ける時、基本的にはよりよく生きようとする。
よりよくとは、 今よりもこれからの方が少しはましになるように、ということである。
いつも、少しましになるように、それを期待して多くのいとなみの仕方を試みる。

しかし、全てのいとなみが成功するとは限らない。中には失敗もある。いのちの存続に関わる失敗をした時には、その時点でいのちの糸が切れてしまい、二度といのちのいとなみを続けることはできなくなることもある。

それでも、いのちは常に新しい試みをしながら、少しましな生き方を求めて生き続けている。

いのちは、そんな基本プログラムを持っている、と私は感じている。

善人と悪人

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自分は、善人か悪人か。
何を持って善人とするか、何をもって悪人とするか。
それは、その人によって評価の仕方が違っている。

自分が生きようとする時、善の形で生きようとするか、悪の形で生きようとするか、それによって生き方が違ってくる。
本質として善か悪かということではなく、表現型として善か悪かということである。

人の行いには善と悪がある。
善も悪も同じいのちの営みである。
生きようとするいのちの営みの表現型に変わりはない。
ただ、悪の形として表現するか善の形として表現するかの違いである。

いのちに善悪はない。
善と言われる所業を持って生きる指針とするか、悪と言われる所業をもって生きる指針とするか、その選択の違いである。
どちらを選ぶかは、自分のモノサシによる。

モノサシ

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命はみな、見えないモノサシを持っている。
そのモノサシによっていのちのいとなみを決めている。
モノサシには多くの種類があって、その時その時によって使い分けている。

モノサシの使い方を間違えると、期待した結果は得られない。
そんな時、生き続けることに対するリスクが生まれてくる。
人間以外の生き物は、それを失敗として記憶するが、人間はそれに加えて、絶望する。

人間は、目に見えないモノサシを備えている。
生まれてからの長い生活の中で、様々なモノサシを身につけている。
モノサシは外からは見えないが、行動を見るとモノサシの存在が見えてくる。
人々は似たようなモノサシを使って行動し、いのちの営みを続けている。

モノサシは、命が地球に生まれた時から、長い時間をかけて創られ、改良され、今日のモノサシになったものである。
モノサシは人によって違う。
その違いが、個人の違いであり、無駄な競争を避ける救いになっている。

命は戻れない

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命は、片道切符である。
一度通ったところを、もう一度通ることはできない。

命は永遠の流れであり、過ぎ去った時代に帰ることはできない。
命は時間である。
始まった時から、終わりに向かって流れるだけである。
通り過ぎた時間を振り返って、もう一度同じようなことを繰り返して見ることはできても、それはやり直しではなく、しばらく時間が経った後で改めてやってみたということである。

命にやり直しはない。
常に前に向かって進むだけで、常に新しいことを創り出すだけで、古い時に戻ってもう一度やってみるということはできない。
古い体に戻ることもできないし、過ぎ去った時を再び使うこともできない。

命は常に前に向かって進んでいる。
命はいつも新しく創り続けている。
だから、過ぎ去った命は使い尽くされたものであり、それを改めて、再生することはできない。

だから、命の営みを続ける時には、一瞬一瞬を大切にしなければならない。
おろそかに扱っても大切に扱っても、命のその一瞬は二度と帰ってこない。